この記事は、12月1日から25日まで、学校を退学した人・する人などが記事を続けざまに投稿していく「退学 Advent Calendar 2016」の15日目の記事です。
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筆者は大学(学部)を中退しましたが、それから10年以上が経過しても生き延びることができています。
これまでに起きたことなどと適当に掻い摘んで書いていきますが、退学したばかりの人、退学しようかどうか悩んでいる人、そんな方々の参考になれば幸いです。
やめるまでの人生
大学に入るまでの人生
小学6年生のときにプログラミングを始めました。
あまり勉強熱心ではありませんでしたが、プログラミングを進める上では英語、数学、物理の知識が欠かすことができなかったため、これらの内容を学ぼうとする意欲は他人よりは高かったかもしれません。これらの科目に限っては、中学高校の授業の内容についていけないということはほとんどありませんでした。また、家族仲は良くなく、家から離れて生活することが人生の目標になっていました。「難しい大学に合格すれば資金的に苦労すること無く家から出て行くことができる」ことが明らかであったこともあり、高校3年生の後半からは必死で受験勉強に励み、その結果無事に合格することができました。
大学受験をするまでの時点で「情報処理の勉強は、もはや数学と英語さえきちんと勉強すれば良いだけであって自宅でできる。大学では自宅でできないことを勉強したい」と考えていたことから(※もちろん、実際には情報工学関連で学ぶべきことは山ほどあります!)、情報処理系の学科には進まず、機械や材料などを取り扱う学科に進みました。
大学入学後
高校3年生の時の激しい勉強の原動力は「家から離れること」でしたが、実際に家から離れて安心を獲得してしまうと、学習意欲は日に日に落ちて行く一方でした。それに加えて学習内容は不慣れな分野であったということもあり、成績は最悪の部類で、単位も落としてばかりでした。4回生になり、4年での卒業がほぼ不可能であることを悟った頃、早く就職したいと思うようになりました。家から仕送りを頂戴する以上、家の人間の言うことをある程度聞くということは避けられません。そのストレスから自分を解放するには、家との連絡を絶つ必要がある。家との連絡を絶つには自分で生活費を稼ぐ必要がある、という思考です。
「せっかく難しい大学に入ったのに」という言葉は周囲から腐る程聞かされましたし、自分でもそう思っていました。相当に悩んで決断を1年以上先延ばしにした結果、ストレスで体調を崩すような現象も発生するようになり、退学と就職を決意しました。小学6年生から高校3年生までの間に自分で用意した自分自身だけのためのセーフティネット、情報処理の世界に戻ることにしました。
やめてからの人生
派遣会社での生活
当然のごとく、大学の同期たち、特に情報工学系の友人達が就職するようなところには就職できる訳も無く、転職サイトで適当に検索して一番上に出てきた人材派遣会社(特定派遣)にコンタクトを取り、そのまま就職することになりました。当時(2004〜2005)は、給与などの条件に目をつぶりさえすれば就職先は山ほどありました。恐らく今も同じでしょう。
その派遣会社のオフィスには、自分と同じように大学を中退した者や、他の業界から転職した者などが研修を受けていました。3ヶ月間ほど研修を受けると派遣先での業務に移る、というのが一般的な流れです。ところが、一緒に研修を受けていた者の多くは、筆者の中学1年生の頃よりもコーディング力が低く、驚きを隠すことができませんでした。「あー、スキルなんて無くても、少なくとも若いうちはどうにかして生きていけるんだな」と思いました。もちろん彼らも人柄が悪い訳ではないので、彼らにプログラミングを教えることが派遣会社での仕事の大半を占めるようになります。
じきに自分も派遣されることになりましたが、派遣会社の居心地の悪さとは打って変わって、派遣先では仕事は大変だったものの興味深い製品や業務領域に多く触れることができて居心地も良く、2012年に退職(そのときの退職エントリ)するまでは充実した業務生活を送ることができていました。最終的には派遣会社には7年間ほど所属していました。
資格
派遣会社に所属している間に、次のような資格を取得しました。
- ソフトウェア開発技術者(現・応用情報技術者)
- テクニカルエンジニア(ネットワーク)(現・ネットワークスペシャリスト)
- テクニカルエンジニア(データベース)(現・データベーススペシャリスト)
- 情報セキュリティスペシャリスト
こんだけ取ってたらメシ食うのに困ることはそんなに無いやろ、という感触はあります。でも、これらの資格が役に立つのは日本国内だけでしょう。知識自体は海外でも活かされますが。
論文試験のある資格を取得できていないのは、普段ペンで文字を書かないせいで、論文を書く途中で手が震え出してしまうから、です。
ワーキングホリデー
人材派遣会社を退職した後、オーストラリアにワーキングホリデーで行きました。このブログの中にも「Australia」のタグがついた記事がそれなりにありますが、その多くはワーキングホリデー期間中の出来事などを記したものです。
現地では、在オーストラリアの日系企業で社内SE的なことなどをやってました(詳しくは退職エントリへ)。日本で作っていたようなものを、応用を効かせたりトラブル予防策を仕込んだりしながら改めて構築して行く、というような感じでした。
途中からは学校通いを始めて学生ビザに切り替えるということもありましたが、いずれも期限のあるビザです。ビザが切れそうになって、就労ビザ(取得するには雇用主の確保が必須)をきちんと取ってオーストラリアに残るのか、それとも日本に帰るのかの選択を迫られる場面がありました。諸事情があって日本に戻ることを選択しましたが、「うちなら就労ビザ取得の支援してあげるよ」という形でのお声がけも何社からか頂くことができました。やはり、キャリアを形成していく中でもアピールし易いものを積んでおくというのは大事なことだなと思いました。
ちなみに、永住権を取得するには、大学を卒業していないと一気に難易度が上がります。とは言っても大学卒業が条件になっているのではなく、大学を卒業していることがポイントになるのです。
帰国後
オーストラリアでの生活を終えて帰国してからは、再び転職活動です。活動している途中でお声がけ頂き、現在の勤め先に入ることになりました。オーストラリアに居た時の感想とも同じですが、アピールし易い経歴を持つことは大事なことです。
今後
もともとセーフティネットとして用意しておいた情報処理関係の能力ですが、今はそれを全力で活用している形になります。言い換えれば、情報処理関係以外の分野でのスキルは、少なくとも外部から観察できる範囲においては、それほど溜まっていないとも言えます。情報処理でメシを食いながら、それ以外の分野でまた新しいセーフティネットを構築していく、というのが今後の目標になります。
さいごに:退学しようかどうか迷っている人向けのことば
- メシのタネがあるのなら、バッサリ退学しちゃった方が良いんだろうと思います(でも自己責任でね)。
- 若いうちは、(給料の安さなどに目をつぶれば)意外と就職先はある、はずです。
- アピールできる能力や職歴をきちんと積んで、いつでも転職できる状態を作るのが大事です。
- 日本脱出を考えている人は、卒業してた方がずっと有利でしょう。
参考になれば幸いです。