昨年からの仕事の成果物の一つを、特許として出願しました。弁理士の先生にお願いしたりすること無く、書類は全て自力で用意しました。初めての体験です。
出願はほぼスタート地点のようなものであって、特許査定*1に至るとは限りませんし、行うべき作業は沢山あります。友人の弁理士曰く「素人が書いて通るようなもんじゃない」とのことなので過度な期待は抱かないようにしていますが、出願という行為を正しく行うというところまでは自力で来れました。プログラミングの世界で言うところの「コンパイラがエラーを吐かなくなるところ」まで来れたのです。
そんな訳で、やってきたこと等を書き留めておきたいと思います。
なお、ここに書いてあることを参考にして、読者が自力で出願して意図しない結果*2になったとしても筆者は責任を負うことができません。特許を真面目に考えておられる皆さんはぜひ時間・金銭共に余裕を持って弁理士の先生のお世話になって下さい。
発明の、その前に。
「発明」のライフサイクルは、発明する前から始まっています。
新規性:「やってはいけないこと」を知る
やってはいけないこと、それは人に喋ったり見せたりすることです。極論、Webサイトに掲載してPV*3がゼロだったとしても、それは人に知られたものとして扱われるそうです。発明の内容が人に知られると、それは特許の要件の一つ「新規性」が失われることになります。「新規性の喪失」と言います。出願の日の後に知られたり、守秘義務を負った人(同じ企業の中とか、弁理士の先生とか)であれば知られても大丈夫だそうですが、正確なことは調べて下さい。一番安全なのは全く人に言わないこと、なんですけどね。
とは言っても、学会発表とかの事情でどうしても出願前に公開しないといけない人向けに 新規性喪失の例外規定 があります。新規性を喪失してから1年以内であれば、きちんと手続きすれば例外として認められます。筆者の事案でも、やむを得ず公開しなければならない状態にあったので、この申請をしました。
権利関係を明らかにする
人との共同作業で発明が生まれたとき、権利関係に気を付ける必要があります。例えば、勤め先の仕事の範疇で生まれた発明は「職務発明」と言い*4、多くの企業では就業規則なり雇用契約の中に職務発明の権利の取り扱いに規定があるでしょう。多くの場合では発明して特許取ったら、会社は発明者にn円を支払うから、特許は会社のものにさせてね
という趣旨のものになっていることでしょう。他社(他者)との共同開発のときは契約内容を確認しましょう。特許を複数人(複数社)で共同保有するとき「持分」という概念があります。 これは誰がどれくらいの割合で持つのかを定めるものです。
ややこしいのは、会社の役員が発明をしたとき、です。職務発明の権利の取り扱いに関する定めが就業規則に書いてある時、それは役員は適用外であることに注意です。
ハッカソンやアイデアソン的なイベントも注意が必要です。もしもすげぇものを思いついちゃったときに 特許を受ける権利
や 著作権
等の権利を全て持っていかれる規約になっていないか注意が必要です。まぁそもそも、この手のイベントは新規性喪失の意味でつらいと思いますけれども。なので、これらのイベントに参加するときはある程度は手加減しないといけませんね。
特許の要件を知る
新規性については前述の通りですが、他に「進歩性」や「産業上の利用可能性」があります。これらについて知っておくことは重要です。
また、賢明な読者の皆さんであれば実装不可能なものを特許出願するような野暮なことはしないとは思います。
ライフサイクルを知る
新規性喪失について知り、権利関係を明らかにしたら、特許を受けるまでの流れを把握しましょう。
企業において何か特許を取れそうなものを発明するとき、それは事業上の何かと密接に結びついているはずです。新製品の発表や報道機関向けの先行公開などのイベントよりも先に出願することが大事ですから、新製品の発表スケジュール等があらかじめ決まっているようであれば、それを考慮して出願できるように社内調整しなければなりません。
先行事例を調べる
これから開発しようとしている技術が既に世に出ていないかを調べる必要があります。出ていれば新規性が無いと言えます。出ていなくても新規性が無いこともあるようですけどね😇
この先行事例を調べる行為は、開発前と開発後の2回、できれば開発の途中にもやった方が良いと思います。筆者もそうしました。理由は、開発前と開発後では私たち自身の当該技術への理解度が異なることから、開発が進むにつれてより適切な検索ワードを心得るようになっているからというのと、開発している間に他者に先を越されている可能性があるから、です。
また、具体的な調査方法を解説した本やWebサイトは沢山見つかると思いますので、それらを参照して下さい。とても奥深い作業だと思います。余談ですが、経験則としては、修士以上の学歴のある方々はこの手の調査に長けている傾向があるなぁと思っていて、うらやましく思うことも多々あります。
発明する
エンジニアとして、良い仕事をしましょう。
出願
さて、ここからが、この記事のメイン・コンテンツです。出願の書類を作るための情報のメモ書きです。
出願の方法を知る
特許の願書は、特許庁の窓口に持ち込む方法と、郵送する方法と、インターネット出願する方法があります。この記事を読んでるような皆さんは(弁理士の先生のお世話にならない場合は)当然にインターネット出願を選ぶことでしょう。なので、ここではインターネット出願について述べます。
インターネット出願の方法については公式サイト「電子出願ソフトサポートサイト」で学ぶのが一番です。
www.pcinfo.jpo.go.jp
インターネット出願のソフトウェア(Windowsアプリ)も、ここからダウンロード可能です。ダウンロード時にユーザ登録的な儀式が必要です。ちなみにMacアプリも提供されていたのですが、ユーザ数が伸び悩んだことから、Catalinaへの非対応と2021年9月末でのサポート打ち切りが決定されています。あーあ、私たちソフトウェア技術者が特許出願しなかったせいだ。。。
という訳でMac版に対してはソフトウェアの世界で言うところのdeprecated宣告が為された状態ですので、筆者はWindows版を使って出願しました。
文面を書く
文面を書く上では、2つの点に気を付ける必要があります。
- 良い特許が、取れるように書く
- 必要事項を正しく書く
前者に関しては、弁理士の先生が書いたWeb上の情報や、市販の本から学ぶのが良くて、本ページのようなブログ記事を読んでいる暇なんかありません。特許の請求項をどのように組み立てるべきか?とか、進歩性とかについて、学ぶことは沢山あります。筆者はこれらについて語れるほどに強くなった訳ではありません。この記事では後者に集中しています。
後者、必要事項を正しく書くという目的のもとでは、まず真っ先にやらなければならないのは「申請書類の書き方ガイド」を見て、必須事項を知ることです。
https://www.pcinfo.jpo.go.jp/guide/DocGuide.htm
このページには様々な情報がありますが、左側フレームの目次の中で、主に見るべきなのは以下の項目です。
- 電子出願の規約:HTML、文字、図の規約が書いてあります。
- 特許出願手続きガイドライン
- 特許出願(通常):出願の流れが見えます。この目次項目の中には、出願の種類に応じていくつかの様式が用意されていますが、適切なものを選びましょう。例えば新規性喪失の例外の規定の適用を求める場合は、そのための様式を見ましょう。
- 明細書、特許請求の範囲、要約書、図面:これら4つの文書は、上記の本体と共に、必須の文書です。(図面が1枚も無い場合のことは知らない)
また、特許の文面では、半角英数字を使うのは極めて限定的(URLとか)で、それ以外の英数字は全て全角で書くのが基本です。プログラマという生き物はそのような入力には不慣れであることが多いでしょうから、入力にも戸惑うはずです。筆者は久しぶりに「サクラエディタ」のお世話になりました。このエディタには標準機能として半角→全角変換があったりします。あとは、いわゆる「次を検索」をF3キーだけで実行できるのが、Windowsのテキストエディタの利点でしょうか。
図を描く
特許技術を説明するには図は欠かせませんが、この図はイラレ使ったりVisio使ったりして描くことが多いようです(筆者調べ)。
筆者は一応イラレ使えはしますけれども、正確な作図ができるほどには筆者のイラレスキルは高くありません。それならば!ということで、テキストエディタでSVGを描いて図としました。テキストエディタでSVGを描く方法については拙著で解説していますので、興味ございましたらご購入の上でご覧下さいませ。
holiday-working.booth.pm
図には、線の太さについて規定があります。
≪線の太さ≫
https://www.pcinfo.jpo.go.jp/guide/Content/Guide/Patent/Zumen/doc/P_Zumen.htm
・実線にあっては約0.4mm(引出線にあっては約0.2mm)、点線及び鎖線にあっては約0.2mmとします。
・特に陰影を付ける必要があるときは、約0.2mmの実線で鮮明に描きます。
これらの規定を満たす上でも、SVGは私たちの強い味方です。特許の世界ではイメージファイルの規定にある通り、横2007px * 高さ3011px の画像を作れば300dpiとして処理してくれることが既知ですから、幅と高さをこのように規定しつつ、viewBoxで 1 user-unit が出力時の1mmに相当するように設定すれば、線幅をミリメートル単位で指定することは難しくはありません。印刷時の仕上がりサイズは 幅170mm * 高さ255mm ですから、viewBoxを例えば 0 0 170 255
とすれば良いのです。
具体的には、このようなSVGを描くことができます。
<svg xmlns="http://www.w3.org/2000/svg" xmlns:xlink="http://www.w3.org/1999/xlink" viewBox="0 0 170 255" width="2007px" height="3011px"> <rect width="170" height="255" fill="#fff"/> <g id="実線" fill="none" stroke="black" stroke-width="0.4"> <rect id="物体1" x="35" y="20" width="100" height="100"/> <rect id="物体2" x="35" y="140" width="100" height="100"/> </g> <g id="引出線" fill="none" stroke="black" stroke-width="0.2"> <path d="M135,40 q10,-10 20,-10"/> <path d="M135,150 q10,-10 20,-10"/> </g> <g id="符号" text-anchor="middle" font-size="5" font-family="sans-serif"> <text x="160" y="32">11</text> <text x="160" y="142">12</text> </g> </svg>
ここでは詳しい解説はしませんが、前述の本を読めば、このSVGで描こうとしているものは見えてくるはずです。見えないという人も、コピペして .svg ファイルとして保存すれば見えるはずです。なお、このSVGのソースは完全に無保証であることと、図の内容を読者の皆さんの発明内容に書き換えること、の2つの条件を同時に満たす場合に限り、皆さんの特許出願に利用して頂くことを許諾します。
こうして出来上がったSVGは、ImageMagickでラスタ画像化しましょう。手元のMac(Catalina。HomeBrewでImageMagickをインストール。)では、次のようなコマンドで変換しました。
convert -font "/System/Library/Fonts/ヒラギノ角ゴシック W3.ttc" 1.svg -set colorspace Gray 1.jpg
WindowsやLinuxなどの環境では、フォント指定の部分は別のファイルになるでしょう。
気を付けることとして、次のようなものがあります。
- ImageMagickがSVGを読み込むとき、SVGファイル内のfont-family指定は無視されている(という噂)。
- 適用されるデフォルトのフォントは、大抵は日本語や全角文字、筆者の場合には数学記号のギリシャ文字さえも描画できないものなので、convert起動時のオプションとしてフォントを与える必要がある。
- WindowsやLinux等ではフォントファイルのパスが変わるのはもちろんのこと、MacでもOSバージョンが変われば変わる可能性がめっちゃある。
- 大事なのは
-set colorspace Gray
のところ。これで 8bit Grayscale になる。(2値の白黒のPNGにする方法は調べてない😇)
HTMLにまとめる
世間一般では、MS-Wordで文面を書いてそこからHTML出力するのが一般的な手法なんだそうですが、筆者はWordは好きですけどもWordが吐き出すHTMLは好きではないので、最初からHTMLをテキストエディタで書きました。ここで気を付けるべきこととしては、以下のようなものがあります。
出願料を払う
お金を払う方法は何通りかありますが、クレカや銀行振込は使えません。私たちにとって最も簡単なのは恐らくPayEasy(ペイジー)でしょう。特許の世界ではPayEasyのことを「電子現金納付」と呼ぶそうです。PayEasyでお金を払うためには、インターネット出願ソフトで準備が必要なのですが、この電子現金納付のメニューは画面を人間の目で探しても我々素人にはまず間違いなく見つけられないので、マニュアルを見ると良いです。
読んだ書籍の紹介
「SEのための特許入門」は、SEと言うよりはソフトウェア開発技術者向けに、特許の制度やソフトウェア特許について解説された本です。ソフトウェアに特化した本であるせいか、薄めの本ですが上手くまとまっている感はあります。真面目にソフトウェアエンジニアとして仕事をされている方であれば、この本から学んでいくと良いのかな、と思いました。特許という制度について理解することと、日頃のソフトウェア開発の仕事の中から特許になりそうなものを見つけ出す眼力を養う上では、とても良い本です。初版は平成15年(2003年)で相当に古いですが、筆者の手元にある第5版は平成29年(2017年)の発行で、ARについての言及もあるほどです。きちんとアップデートされている本です。「はじめての特許出願ガイド」は、先行技術の検索方法や、文面の特有の言い回し等について特に詳しく書いてある本です。実際の特許の事例を読み解く方法を学ぶという意味でもとても役に立ちます。この本なしには筆者は自力で文面を書ききることができなかったでしょう。できる技術者・研究者のための特許入門 元特許庁審査官の実践講座 (KS科学一般書)
- 作者:渕 真悟
- 発売日: 2014/11/12
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
最後に、打ち上げの様子。
🍣うちあげ🍵 pic.twitter.com/rudyBRzXn3
— T.MOTOOKA (@t_motooka) 2020年9月28日
おまけ
この記事は8192文字で書かれているそうです。キリが良いですね!