職業プログラマの休日出勤

職業プログラマによる日曜自宅プログラミングや思考実験の成果たち。リアル休日出勤が発生すると更新が滞りがちになる。記事の内容は個人の意見であり、所属している(いた)組織の意見ではない。

組織の死と復活

所属している組織の、年に1度の事務的な会議に参加してきた。
自分がAustraliaに行っていた間はその組織から抜けていたので、約2年振りの参加である。

2012年3月のその会議では、話し合いは大荒れとなった。組織の所属メンバーの意見が一致し得ない議題があったというのが最大の理由ではあるが、それだけの問題ではなかった。

大きな金銭が絡む組織ではそうでもないが、この組織のように非営利で動いているところにとっては、意見が一致しないことというのは実は健全なことである。参加者が、その組織や周辺環境を良くしていこうという強い意識を持っていることの表れであるからだ。組織全体の統一見解を決めるために骨を折ることにはなるが、提示される意見の中には至言も多い。


2012年3月の会議の話に戻る。どの立場の意見も的を得たものであるが、どうしても譲歩とかで決着を付けることはできない。そう確信したところで、残念ながら多数決での勝負をさせることになってしまった。
当時、自分は日本から出て行くことが決まっていたので、組織の行く末とは無関係である(≒中立である)という状況から、多数決のための投票制度を整備する役割を担った。

ところが。

1割から2割ほどの人達が、そもそも多数決を取ることに対して明確に反対してきた。
気持ちは痛い程わかる。自分だって可能であるならば話し合いで解決させたい。でもそれは無理だという確信がある。話し合いじゃ解決しそうにないでしょ?という話をして、ほとんどの人にはどうにか理解してもらった。
残り1名だけ、どうしても納得しない様子の人がいた。

こちらが提示した制度では「Aの場合はBとする」と明記してあるのに対して「もしもAの状況になったらどうするんだ!!!」といった内容の怒り口調のメールをメーリングリストで配信してくる程である。この人物こそ、まさに文盲と言えよう。
#もしも配信されてきたメールが怒り口調でないのならば、こちらの書き方が難し過ぎたのかもしれない、と訂正を視野に入れる場面ではある。

それ以降、自分はその組織の意思決定の場から身を引いた。努力するだけ無駄だからである。それから間もなく、その文盲氏が組織の要職に就いたと聞き、自分はその組織が近いうちに死を迎えることを確信した。まともな文章処理能力を有さない、または先入観で全てを決めてしまうような、ただ声が大きいだけの人物が組織をコントロールできるとはとても思えなかったからだ。




2013年9月下旬。日本へ帰国してきた直後に、その組織で長年お世話になってきた方々と杯を交わす機会があった。
自分が日本に居なかった間、組織から脱退する者がそれなりに居て組織運営も大変であった、という話を伺った。やはりこの組織は死にかけていたのだ。それでも死なずに済んだのは、その場に居た方々や、その協力者の皆さんの血の滲むような努力の結果だろう。
そして問題の文盲氏は2013年9月中旬に、要職に就く身でありながら突然脱退を宣言して、それから連絡が取れなくなったらしい。
その話を聞いて、自分はこの組織に戻ることを決意した。

それから約半年が経過した。正常な組織運営のためにはやや人数が足らない状況ではあるが、正常に意見交換が為されている様子を見ると、希望が見えてくる。




これから先、自分はこの組織では、そんなに長く活動することはできないだろう。
仕事は忙しくなるし、技術も日々学び続けていかなければならない。私事でも忙しくなってくる(つもり)。とてもじゃないけど自分の生活時間の中から組織のために時間を割り当て続けることはできなくなる。恐らく、もってもあと1年から2年程度。Webサーバの管理くらいならずっとやり続けても大丈夫だろうけど。

タイムリミットが来るまでに、組織の復活を確かなものにしたいものだ。