道具は、大きく2つに分けることができると思っている。
- 不可能なもの、または事実上不可能なものを可能にする道具
- その道具が無くても実現可能なことがらを、より楽に実現するための道具
例として、包丁と皮剝き機という組み合わせを考えてみよう。
包丁があれば、食材を切ったり皮を剥いたりすることができる。これは不可能を可能にしてくれる道具。
ところが、包丁でジャガイモの皮を剥くには、それなりの量の練習が必要である。この練習をしなくても済むようにしてくれているのが、皮剝き機。
皮剝き機は便利だ。きっと、みな口を揃えて同じ事を言うだろう。
そこに、料理のことを全く知らない、包丁の存在も知らない人が登場したとする。
その人はどういう行動に移るだろうか?そう、包丁を買わずに皮剝き機だけを買う。
次のセリフはこうだ。「皮剝き機じゃジャガイモ切れないじゃねーかバカヤロー!!」
ソフトウェアの開発は、ゲームを除けばほぼ全てが道具の開発である。(ゲームも道具だと主張する人は居るかもしれないが)
包丁のような道具を作っている人も居れば、皮剝き機のような道具を作っている人も居る。
割合としては後者の人の方がずっと多いだろう。筆者もその中の1人だ。
皮剝き機的な道具を開発していて最も辛いことの一つが、包丁的な道具の存在を伝えられないことである。
営業上の都合によることもあれば、単に説明不足なこともある。
包丁が必要な人には、包丁を手に入れて欲しい。
そう願いながら筆者は今夜も包丁を握る…ことなど無く、食糧を外部から調達してくるのであった。
お寿司おいしい。