職業プログラマの休日出勤

職業プログラマによる日曜自宅プログラミングや思考実験の成果たち。リアル休日出勤が発生すると更新が滞りがちになる。記事の内容は個人の意見であり、所属している(いた)組織の意見ではない。

ANZAC Day

4月25日(木):ANZAC Day。
Australia全国で、この日は祝日です。詳しい(?)経緯などは前の記事 ANZAC Sunday へ。簡単に言うと、戦没者追悼の日です。
この記事は、ANZAC Day における町並みを中心にお伝えしましょう。

Dawn Service

dawnとは夜明け・あけぼののこと。ここでの service は儀式のこと。即ち、早朝に行われる慰霊式典のことです。どれくらい早朝かと言うと、午前3時半からです。これはさすがに起きることができませんでした。。
なぜ早朝に儀式が行われるかというと、上記の記事でも紹介しているガリポリ上陸作戦が未明に行われたからです。
※「service」には「兵役」や「従軍」といった意味もあります。掛詞かも??

Martin Place

Sydneyの中心部(CBD : Central Business District)の本当にど真ん中に位置するこの通り(広場?)では、いろんな催し物が開かれます。周囲には歴史的な建造物も多く立ち並び、一番眼を引くのはやはり Martin Place 1番地にある、 General Post Office, Sydney でしょう。

No.1 Martin Place

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ちょっと太陽の向きが…(笑)

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一つだけオーストラリアの国旗とは違う旗が見えます。第一次世界大戦の頃は、この旗も用いられていたようです(残念ながら資料は見当たらず)。

なお、この建物は、今では郵便局としては稼働しておらず、商業施設になっています。

棺(ひつぎ)

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この棺は、No.1 Martine Place の真正面に設置されています。 TO OUR GLORIOUS DEAD … 「栄誉ある死を遂げた者達へ」 と訳すのが妥当でしょうか。

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これは棺の裏側。ここにも LEST WE FORGET と書かれています。やはり「忘れやしない」と訳すのが妥当でしょうか。

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これは棺の側面。多くの wreath が捧げられています。

Martin Place 東端

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この写真は東端から西を向いて撮ったもので、先ほどのNo.1 Martin Placeはこの写真の突き当たり(西端)の左手にあります。
ここにもwreathが手向けられています。こちらは第二次世界大戦や最近の戦没者に向けたメッセージが特に多く見られました。
と言うのも、このモニュメントには
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のように書かれているからです。第二次世界大戦の戦没者追悼のモニュメントなのです。

The Salvation Army - 救世軍

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これは救世軍の車両。Sydney市内にある大きな公園、Hyde Parkの脇で見かけました。
「Emergency Services」って何をするんだろう?と思って中を覗き込んでみたら、災害時などに被災者へ食糧などを提供するための調理設備が整っていました。頼りになりますね。
で、この車両のメーカーは、
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いすゞでした。
日本車を見かけるのは決して珍しいことではありませんが、こうやって活躍しているのを見ると嬉しくなるものです。

火災

ANZAC Dayの市内探索の後、会社へ仕事をしに行きました。
しばらく作業をしていると、突然火災報知器が鳴り出しました。
廊下に出ると、廊下は白煙が充満していて危険な状態でしたので、エレベータではなく階段で地上へ避難しました。
あー、怖かった。
どうやら、同じフロアの給湯室(?)の電子レンジが原因のボヤだったようです。

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消防隊は20分後には帰っていきました。
消火のあと、同じフロアの他の部屋に入居しているオフィスの人達とはビックリしたねー、と言いながら当該のフロアへ戻っていきました。
火災の被害がこの程度で済んだのは、過去の戦没者達のご加護があったから、かもしれません。